ハグとかチューとか
土筆の佃煮が出来ました。
苦味も少なく、あっさりと美味しく頂きました。
全く話は変わりますが…
私が子どもの頃、家族でハグとかチューとか、ありえない世界だったのですが、約40年前の日本の一般的な家庭では、どうだったのでしょうか。
夫は1歳年上ですが、私と同様、そんなのありえない家庭です。
一体いつ頃から、メジャーになったのでしょうか。
実は、私は触られるのが好きではありません。
これは、娘ちゃんが我が家に来てから気づいたことです。
チューとかハグとか、してあげるのはいいのですが、ぺたぺた触られるのが苦手みたいです。
特に眠い時など、「おかーちゃん大好きよ」とか言いながらぺたぺた甘えてきますが、自分の心と時間にゆとりがない時は、耐えられなくなります。
娘ちゃんに申し訳ない、受け止めてあげなきゃと思うのですが、限界に達すると「くすぐったいからやめて、おしまい」とか、拒否してしまいます。
1日に何度か、しかも突拍子もないタイミングで「おかーちゃん大好き」「おとーちゃん大好き」と言いますが、十分に安心感を与えられていないから、何度も愛情確認するのだろうか?と思います。
つい先日、触られるのが苦手という事に関して、母譲りのものだという事が分かりました。改めて聞いた訳ではなく、偶然そんな話になりました。
自分の記憶にはそれほど残っていないのですが、同じ事を繰り返しているのかと思うと、理屈じゃない何か、うまく言えないけど、ちょっと怖いなと思います。
この話が聞けて、ある意味スッキリしたような気もします。
昔は、姑や小姑と同居が当たり前、子育ての手は足りてるから嫁は働けという環境だったので、何に関しても自分の思うようには出来なかったと、母はよく話していました。
プラス、まとわりつかれるのも嫌だったようです。
「あっちで遊んでて」とよく言ってたそうです。
だからといって、私は愛情不足で育ったという自覚もありません。他の家庭で暮らした事がないので、比較もできませんが。
ただ、誕生日とかクリスマスとか、イベント的なことが、お友達の家庭とはちょっと違うぞ...というのは分かりましたけど。
基本、いつも笑いのある家庭だったと思います。
娘ちゃんと私は、里親子の関係なので、普通の親子よりも約2年関わりが短い(遅かった)訳です。
その2年を埋めるためにも、いっぱい甘えさせて受け止めてあげなければ…
そのように指導もされていますし、理屈ではわかっているのです。
でも、やってみるまで気づかなかった自分にショックでした。
母性の欠落、愛着障害、所詮はニセモノ…どんどんネガティブが膨らんできます。
関わり方はひとつじゃない。そう思って、一緒に歌う、本を読む、体操する、散歩する、花に水をあげる、などなど、一緒に出来ることを大切に、少しずつ積み重ねていけたらと思います。
自分のネガティブと向き合う事はしんどいけれど、吐き出して、明日からまたガンバリマス。