さくぶん

ひとりごとです。発達障害とか、家族のかたちとか…

母と私

私の母。

実家の母について。


今、76歳。血圧など多少問題あって入院など繰り返しますが、今のところ頭もクリアで、概ね元気。


母が嫁いだ時は、姑や小姑たちともちろん同居。女中みたいなものだったそうです。

子どもと遊んでいないで、働けという教え。


祖母はリウマチと糖尿病があり、母がインシュリンの注射を打っていたのをかすかに覚えています。

祖母は、よく入退院を繰り返していたので、母は泊まり込みで付き添っていました。


私が小1の時に祖母が亡くなり、やっと自由になれた!という感じで弾けていた時期もありました。

まぁ基本、父と一緒に行動していたので問題はありませんが。


その後は、身内以外にも近所の人や昔からの知り合いなど、入院の付き添いをしたり、「そこまでやる?」っていうくらい、面倒見がいいというか世話好きというか。

本当に、人はいいけど一言余計というところがあり、大きな失敗もあったようです。


私が小さい頃の関わりは、母と遊んだ記憶もありません。公園に連れて行ってもらったことも、本を読んでもらった事もないと思います。

父の仕事を手伝ったり、そろばん弾いて帳簿をつけたり…そんな姿が印象に残っています。

それから、手打ちうどんを作っているところを眺めているのが好きでした。


私は、兄姉と歳が離れて、遅く生まれた子ですし、おとなしく、体の弱い祖母と一緒にいられる子だったので、手がかからず勝手に育ったようなところがあります。

学校の準備や宿題など、ひとりで出来ました。

しかし、一般的にお母さんから教わるような事を全然知らずに小学生になって、「え、そうなんだ…」ということも多々ありました。


思春期には、あまり干渉されずに私的にはラクでした。

ハッキリしている姉と違い、私は何を考えているのか分かりにくかったそうです。

中学生のときは、イライラして悪態をついた事もありますが、さらりとスルーしてくれました。本当は傷つけたかもしれません。


進路なども、基本、尊重してくれたので、何でも自分で選んだような気になっていましたが、実は上手く遠隔操作されていたのかなと思います。


就職してからは、一人暮らしを始めたので、月に2回くらい実家に帰り、一緒に食事したり買い物したり、それくらいの距離が丁度良かったのだと思います。


世間体を気にする人なので、私が決めた事、夫婦で決めた事に、ちょいちょい物言いをつけます。

子どもが授からないことも、嫌味というか人前で傷つけられるような事を言われたりしました。悪気はないのでしょうけど、表現が下手なんでしょうね。

色々な忠告に従わず、しばらく険悪なムードが続いた事もありました。


里親になるという事には、大賛成してくれましたが、良かれと思って言うことが、ちょいちょい刺さります。


実家に行くのがつい面倒になりますが、母の残りの人生もあまり長くないかも…と思うと、もう少し優しくしなきゃと思います。

親孝行ってなんだろう。

毎回、「これが最後になるかも」と思って接するようにしようかな。


母に対して、もちろん感謝の気持ちはたくさんたくさんあります。

でも、母の嫌だなと思うところが、自分は違うと思いたいけど、実はすっかり同じじゃないか…とガックリすることがあります。

これがDNAなんですね。


長くまとまらない文になりましたが、母に対する気持ち、今までの振り返りでした。