父と私
「金もいらなきゃ女もいらぬ〜
わたしゃもすこし背がほしい〜」
父が酔っぱらうと、必ずと言っていいほど、この歌が出ました。
父は背が低く、多分私と同じくらいかな…155cm
ちなみにこの歌は、名前は思い出せないけど、昔の漫才師?コメディアン?が歌っていた歌です。
私の実父は、10年ほど前に70歳で他界しました。
呼吸器系の病気でした。
50代から、何かと入院を繰り返していたので、家族親戚みんな準備が出来ていた感じです。
長年音信不通だった弟にも(伯父)会えたし。
最後の入院は半年くらいで長すぎず、理想だなと思いました。
歌が好き、盆栽や花が好き、タバコが好き、熱燗が好き、マグロのぶつ切りが好き。
普段はどちらかと言えば無口な方ですが、酔うと上機嫌でよく喋り、「その話は、100万回聞いたよ」と皆に言われます。
そのうち寝ちゃう…
毎晩そんな感じ。
仕事は、真面目な大工。
17歳の時に父親を亡くしているので、長男として弟妹を見なくては、と苦労も多かったと思います。
実際は、母(祖母)がとても気が強い人なので、とにかく母親の言いなりだったようですが…
私が小さい頃、泣いてると、
「誰だ泣いてるのは!」と、仕事の手を止めて飛んできました。
とりあえず、びっくりして泣き止んでいましたけど。
でも、特別怒られた記憶はありません。
朝寝坊の姉はよく怒られていましたが、
私は早起きして、一緒にテレビ体操して、一緒にお仏壇にご挨拶するような子だったので、可愛かったでしょうね。
まぁ、それも低学年まででしたけど。
週末はいつも、山の方にドライブ。
ラジオ聞いて、大きな声で歌って…
思春期になると、私も一丁前に「お父さん嫌い」の時期がありました。
見られたくないとか触られたくないとか…
週末のドライブも面倒くさいと思うけど、「一緒に行かないとお父さんかわいそう」なんて事を母に話した記憶もあります。
こういうの傷つきますよね。
なに様だよって感じ。
その後は、だらしないところを1度だけ注意された事がありましが(母を通して)、特に私の言動や進路などについて意見も干渉もありませんでした。
父も怪我をしたり病気をしたりで、年齢よりも弱々しく、おじいさんっぽくなってしまいました。
私が就職して家を出る頃には、孫(姉の子)に会うのが楽しみという感じで、すっかり隠居生活です。
今では私も、NHKの番組が好きだったり、花や野菜を育てたり、大きい声で子どもと歌ったり、父のDNAをしっかり受け継いでいるようです。
心残りといえば、父がどんな字を書いたか思い出せないこと。
父が小さな畑で作った野菜を、美味しいよありがとうと言って、もっと食べてあげればよかった。
言い出したらキリがないですね。
昨日は、我が家の父の日パーティ。
パンを焼きました。
母のこと、父のことを書きましたが…
娘ちゃんが大人になった時、
お父ちゃん、お母ちゃんのこと、どんな風に思っているのかな。
考えると、ちょっとこわいな。
責任重大なんだ。
それから、もうひとつ。
自分のこんなところは、母に似ているとか、父に似ているとか、
娘ちゃんは、考える手がかりもないのです。
自分に置き換えて、想像しようにもできません。
自然と、父と母の顔が浮かぶ。
そんな当たり前みたいな事が当たり前じゃない。
そういう子どもがたくさんいるんだと、改めて思いました。
何が言いたいのか、まとまらないけど、
最近いろいろ考え過ぎて、疲れ気味です。
それでは、また。