さくぶん

ひとりごとです。発達障害とか、家族のかたちとか…

いきるためのテレビを観て 2

前の記事の続きになります。

昔から、何かを決める時、ユルイほうを選んできたということ。

 

小学生くらいでも、あれが欲しいとか、これをやりたいとか、自分の意見を主張したことはなかった。習い事や塾も行った事がない。何に対しても、受け身な感じだったと思う。

あの時はわがまま言ってしまったな、と思い出せる出来事は2つくらい。

中学生になって、部活を選ぶ時、運動は苦手だからブラスバンド部。ひとりで目立つパートは嫌だからクラリネット

勉強は、努力をしなくてもそこそこ出来たけど、やっぱり中2から数学とか物理などが分からなくなってきて、やや成績は下降気味。でも、希望の県立高校には合格できた。

高校に入っても、部活はやらず、かといって勉強もせず、今思い出しても3年間何やってたんだろう??という感じ。だから勉強はまったく分からなくなった。

進路は、漠然と大学とか短大とか考えてたけど、この成績じゃとても無理と分かり、資格が取れるような専門学校にしようと。しかも、入試科目に物理がない所…

ちょっと欲を出して短大も受けてみたけど、やっぱり撃沈。

専門学校に入学後、これ必要?と思うような所は全然勉強しないし、実習が始まると「ちょっと無理かも…」と思うようになった。でも私の偉いところは(?)休まずに行くところ。ずる休みする勇気もない。

就職を考える時、時間に追われてテキパキ動く所は無理だ…と考えて選んだ職場。でも自分に向いてると思った。

皆でサポートするから主任をやりなさいと言われ、渋々引き受けたけど、采配とか人をまとめるなんて無理。指示するより自分で動いた方がラクなんて思ってしまう。

末っ子で、兄姉とは歳も離れていたので、常に自分が一番下でいることが心地よい。

そんな事で、その職場も去ることに…ちょうど養母の介護も必要だったので。

結婚したら子どもは授かると思っていたけど恵まれず、でも不妊治療は嫌だった。精神的にも経済的にも無理だと思って、里親の道へ。

車の運転でも無理はしない。首都高走ったら絶対事故ると思っている。


こうして改めて振り返ると、本当に見事に無理なことは避けてきたことが分かりました。

 自分の中で、大きなチャレンジだと思うのは、10年くらい前に、オートマ車限定免許の解除をしたことくらいかな。

がむしゃらに何かに取り組んで達成したという事がないので、何をやっても自信がないのも事実です。

こんなふうに順を追って振り返ってみたのは初めてです。

ユルイほうを選んできた人生ですが、それをさせてもらえた環境があったというのは有難い事です。

生まれ育った家族と今現在の家族、どちらにも感謝です。

たまたま、五体満足に産まれて、大きな病気や怪我をすることもなく、周りの人たちにも恵まれ、酷いいじめに合うこともなく、ここまで生きてこられた事に感謝です。


この先、残りの人生、更年期があって、子どもの思春期があって、老年期になって…

過去最高のクライシスが訪れるかもしれません。

その時は、自分のネガティブと向き合いながら、家族と支え合って、何とか生きていけたらと思います。


「ハートネットTV」から、こんな展開になるとは思いませんでした。

でも、自分を振り返る良い機会になりました。


こういう番組は、興味のある人しか観ないと思うのですが、沢山の人たちに観てもらいたい番組だと思います。

「みんなちがってみんないい」

今の自分が、心の底からそう思えるかといえば、それは嘘になりますが、色んな人がいて、色んな価値観があって、色んな生活、環境、生き方あるってことを、まず知ることが大事なのではないかと思います。


長くなりました。